キリスト中心の組織文化を築く

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「愛がある」か「効果的である」かといった偽りの選択

多くのキリスト教組織は、「愛がある」ことと「効果的である」ことの間の緊張の中で生きています。リーダーたちはおそらく、どちらかを選ばねばならないという前提に立っているのでしょう。つまり、家族のような温かみのある関係性を重んじる文化を持つか、それとも真剣さと責任感をもって卓越性を追求するか、という選択です。しかし聖書は、真理と恵み、愛と効率の間でどちらかを選択せよとは決して求めていません。イエスは両方を体現され、御民にも同じことを求められます。1

使徒パウロはこの誤った選択に訂正を加えています:

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。あなたがたは、主から報いとして御国を受け継ぐことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。」(コロサイ3:23-24)。

パウロの労働観は神を中心としています。教会を導くにしろ、あるいは教会外組織での奉仕や子育て、事業経営に至るまで、私たちの労働は礼拝という行為です。「心から」働くとは、心を込めて働くことです。なぜなら私たちの真の主人は人間の監督者ではなく、復活されたキリストだからです。2

パウロの言葉を土台にして、私たちはキリスト教組織が二つの一般的な歪み——感傷的な優しさと硬直した道徳主義——に抵抗し、代わりに恵みと真理の両方を反映する共同体となる方法を模索することができます。

卓越性の神学


コロサイ人への手紙3:23-24におけるパウロの命令は、福音の光に照らして日常の人間関係を再定義する家庭内のルールの中に位置づけられています。彼はしもべたち(ひいてはすべての信徒)に対し、労働を単なる重労働ではなく、キリストへの奉仕と捉えるよう促します。

「あなたがたは主キリストに仕えているのです。」(コロサイ3:24)。

動機は外的な報酬や罰への恐れではなく、あらゆる務めにおいてキリストが主であるという内的な現実です。この真理は、キリスト教組織の生活を形作る二つの誤った物語を解体します。


「忍耐を伴わない恵み」という神話


多くのクリスチャンの職場では、親切と寛容が同一視されています。赦しという名目で過ちは看過され、「私たちは家族だから」という理由で責任追及は回避されます。しかし恵みとは、責任の不在ではなく、十字架の光のもとで責任を担う力です。福音は凡庸さを許容するものではなく、私たちの心を変革し、喜びと謙遜をもって労苦させます。4

文化を形成する要素は二つ、私たちのビジョンと「私たちが人々に許容すること」です。多くのキリスト教組織はビジョンを重視します。メンバーは組織の行動理由を知りたがります。ですが実際にどれだけビジョンが繰り返し表現されようと、組織文化を最も形作るのは「人の行動をどこまで許容するか」なのです。5

聖書は次のように描いています。「私は怠け者の畑のそばを、良識のない者のぶどう畑のそばを通った。見よ。茨が一面に生え、いらくさが地面をおおい、その石垣は壊れていた。私はこれを見て心に留め、これを見て戒めを受けた。少し眠り、少しまどろみ、少し腕を組んで横になる。すると、付きまとう者のように貧しさが、武装した者のように乏しさがやって来る。」(箴言24:30-34)

怠慢は往々にして「少し」という言葉から始まります。少しの妥協、少しの回避、少しの凡庸さへの寛容――やがてぶどう畑は荒廃します。怠け者の畑は悪意ではなく、無気力によって破壊されるのです。同様に、キリスト教組織が困難な対話(通常は不可欠な対話)を避けたり、親切の名のもとに不十分な成果を受け入れたりすると、その使命と誠実さは徐々に蝕まれていきます。


愛なき卓越性の神話


一方で、律法主義的な熱意で規則や指標を強制する組織もまた存在します。それらは完璧な手順を維持する一方で、人間関係は冷たく凍りついています。パウロが「主のために働く」と戒めたのは、卓越性を偶像礼拝としてではなく、神へ捧げる礼拝として追求せよとの呼びかけです。私たちが質を求めるのは、神の御名がそれに見合うからであって、評判がそれを要求するからではありません。6

真の卓越性は、神への愛、隣人への愛、そして仕事そのものへの愛から生まれます。卓越性が愛から切り離されると、それは支配へと変質します。しかし愛に根ざすとき、それは奉仕となるのです。7


恵みが感傷的な優しさに変質するとき


クリスチャンリーダーは誰でも感傷的な優しさに遭遇したことがあるでしょう。それは、誰もが親切で、誕生日は盛大に祝われ、会議はケーキで終わる組織です——しかし締切は任意で、説明責任は存在しません。従業員はこうした文化を「愛に満ちた」と表現しますが、その裏には静かな自己満足が潜んでいます。

一見、こうした優しさはキリストの教えに思えます。誰が厳しいことを望むでしょうか?しかし表面の下では、深く愛のないことが起こっています。同僚が約束を繰り返し破り、改善せず、負担を他人に押し付ける時、共同体は苦しみます。勤勉に働く者は疲れ果て、冷笑的になります。使命は停滞します。

コロサイ人への手紙におけるパウロの勧告は、この感傷的な恵みの解釈を払拭します。「主に対してするように、心から行いなさい」(コロサイ3:23)とは、私たちの労働が献身の行為であることを意味します。最善を尽くさないことは、同僚だけでなくキリストをも冒涜します。友好的という衣をまとった怠惰は愛ではなく、怠慢なのです。8

才能のたとえ話で、イエスは恐れから賜物を埋めたしもべを叱責されます。「悪い、怠け者のしもべだ」(マタイ25:26)。主人の怒りは失敗ではなく、不忠実——託されたものを管理することを拒んだことに向けられています。感傷主義者は、管理が愛の表現であることを忘れています。互いに神聖な基準に照らして問うことは、無慈悲ではなく、恵み深い行為なのです。9

リーダーが「関係性を乱す」ことを恐れてフィードバックを避ける時、彼らは共同体ではなく快適さを守ってしまっています。聖書的な愛は「不正を喜ばずに、真理を喜びます」(コリント人への第一の手紙13:6)。真の恵みは、恥をかかせるためではなく、回復させるために、凡庸さや無関心に立ち向かいます。10

代わりに、恵みが成長を促す組織を想像してみてください。過ちは赦されますが、悔い改めが求められます。人々は向上し、学び、リスクを取るよう励まされます。フィードバックは傷つけるためではなく、研ぎ澄ますために与えられます。おそらくこれが、パウロが信徒たちに「愛をもって真理を語る」よう呼びかけ、「あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長する」(エペソ4:15)と願った姿なのでしょう。決して挑戦しない愛、それは愛ではありません——それは恵みを装った感傷的な優しさなのです。11


真理が硬直した道徳主義に変わり果てるとき


感傷的な者が怠慢によって罪を犯すなら、逆に硬直した道徳主義者は抑圧によって罪を犯します。ここでは厳格な方針が蔓延し、「価値観声明」が唱えられ、あらゆる過ちが是正されます。秩序と規則遵守が重んじられる文化でありながら、真の温もりは希薄です。

パウロの言葉はこの歪みを問い直します。「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」(コロサイ3:23)。働きがキリストへの礼拝ではなく人への見せ物になると、その結果は誇り、恐れ、操作となります。道徳主義者は秩序正しく見えるかもしれませんが、この種の秩序はしばしば平安ではなく不安によって駆り立てられています。

厳格な道徳主義の文化は、多くの場合、聖さと責任を求める善意から始まります。しかし恵みが失われると、真理は律法へと硬化します。規則は増え、人々は萎縮します。指導者は支配を正当化するために聖書を引用するかもしれませんが、勤勉を求めると同時にあわれみを求れめる同じ主を忘れてしまうのです。12

イエスは「また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうとも」(マタイ23:4)しない人に対して厳しい言葉を残されました。当時のパリサイ人たちの問題は熱心さではなく、偽善——愛から切り離された熱心さ——にあったのです。

健全なキリスト教組織ならば、真理を用いて罰するのではなく解放をもたらします。恥辱を与えずに責任を問います。偶像礼拝に陥ることなく卓越性を追求します。非難せずに規律を保ちます。真理は常に恵みと共に歩まねばなりません。なぜなら、それらが共に存在して初めてキリストの心を映し出すからです(ヨハネ1:14)。

福音に形作られた文化はこう宣言します:「私たちはあなたを愛するゆえに真実を語り、真実を語りながらあなたを愛し続けます。」 こうした共同体は恐れではなく成熟を育みます。悔い改めと回復のための余地を築くのです。3


恵みと真理の文化


では、キリスト教の職場やミニストリーで、感傷的な優しさと硬直した道徳主義の両方を超越するにはどうすればよいのでしょうか。変革は、自ら恵みと真理を体現するリーダーから始まります。そのような文化を育むのに役立つ四つの実践方法を紹介します:

a. 目的を礼拝として明確化する

戦略的計画からオフィスの清掃まで、あらゆる任務はキリストへの奉仕です。チームが自らの仕事が礼拝であることを覚える時、卓越性はエゴではなく畏敬の行為となります。互いに定期的にこう言い合いましょう:「私たちは主キリストに仕えている」と。

b. 恵みをもって真実を語る

フィードバックと説明責任は常に愛によって包まれるべきです。問題を迅速に、まず私的に、祈りをもって対峙しましょう。価値を認めつつ改善を促すのです。目標は成長であって罰ではありません。

c. 完璧ではなく進歩を祝う

恵みが私たちを定義するので、たとえ結果が不十分でも前進を祝うことができます。努力と忠実さを認めることで、チームは誇りや絶望を生むことなく動機づけられます。

d. 悔い改めと赦しの模範を示す

自らの過ちを告白するリーダーは、他者も同じようにできる安全な場を作ります。悔い改めの文化は硬直した道徳主義を防ぎ、赦しの文化は慢心を防ぎます。どちらも福音を中心にとどめます。


贖われた職場の実り


恵みと真実が共存する時、チームは慎重さより勇気を、防御より謙遜を選びます。人々は失敗を恐れてではなく、仕える自由ゆえに懸命に働きます。卓越性は圧力ではなく愛から湧き出るため、持続可能となるのです。

こうした組織は神の国の証しとなります。その誠実さは信頼を呼び、その慈しみは疲れた者を引き寄せます。効率と感傷の間で揺れ動く世界において、恵みと真理によって形作られた共同体は、闇の中の光のように輝きます。

究極の目標は、単に生産的な組織ではなく、変えられた人々です。パウロが私たちに思い出させるように、「あなたがたは主キリストに仕えているのです」(コロサイ3:24)。この真理を掴む時、私たちの仕事——どんなに平凡なものであれ——は聖なるものとなります。


恵みに満ちた回復力


「主に対してするように、心から行いなさい」(コロサイ3:23)という働き方への招きは、完璧主義や受動性を求める命令ではなく、献身を促すものです。キリスト教組織は、彼らが仕える方――恵みと真理に満ちたイエス・キリスト――の御性質を映し出すときに、最高の姿を示します。

そのような文化を築くには、感傷的な優しさと硬直した道徳主義の両方を拒絶しなければなりません。勤勉に働き、すぐに赦し、真実を語り、謙虚に導くことを学ばねばなりません。

恵みが私たちの心を形作り、真理が私たちの手を導くとき、私たちの仕事は礼拝となります。私たちの組織は贖いの証しとなります。日々の労苦は、いかに小さくとも、世界における神の偉大な刷新の業の一部となるのです。



  1. Tim Chester, You Can Change: God’s Transforming Power for Our Sinful Behaviour and Weaknesses (Wheaton: Crossway, 2010), 15. Center Church, ch.3, p.45
  2. Timothy Keller, Every Good Endeavour: Connecting Your Work to God’s Work (New York: Viking, 2012), 105.
  3. Timothy Keller, Every Good Endeavour: Connecting Your Work to God’s Work (New York: Viking, 2012), 23
  4. C. J. Mahaney, Humility: True Greatness (Wheaton: Crossway, 2007), 59.
  5. Patrick Lencioni, The Advantage: Why Organisational Health Trumps Everything Else in Business (San Francisco: Jossey-Bass, 2012), 103.
  6. Oswald Chambers, My Utmost for His Highest (Oakland: Discovery House, 1992), 175.
  7. John Piper, Let the Nations Be Glad! The Supremacy of God in Missions (Grand Rapids: Baker Books, 2013), 45.
  8. John Owen, The Mortification of Sin (Edinburgh: Banner of Truth Trust, 1968), 25.
  9. Henri Nouwen, The Return of the Prodigal Son: A Story of Homecoming (New York: Doubleday, 1994), 80.
  10. Richard Baxter, The Reformed Pastor (Edinburgh: Banner of Truth Trust, 1974), 72.
  11. Tim Chester, You Can Change, 215.
  12. John Stott, The Preacher's Portrait (Downers Grove: IVP Academic, 2016), 90.

著者:グレートリー・デイミアン  Damian Grateley

グレイトリー デイミアン

グレース教会開拓ネットワーク東京のディレクター。妻の詩子との間に3人の子どもがいる。ツイッターのフォローはこちら